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洞窟/隧道/穴/窪み 探検

旧日本軍最後の砦 松代地下大本営跡

想像を絶する作業だったに違いない。  わずか一年足らずで10キロにもおよぶ地下壕を秘密裏に掘ったのだ。

この地下壕とは結局なんだったのであろう。  そこで犠牲になった人の命とはなんだったのであろう。

  そういうことを常に考え続けていくことはできないが、こういう場所を訪れたときぐらいは、 考えてみたいものだ。


松代地下大本営跡

長野県 長野市 松城町 地下

太平洋戦争末期、戦況が苦しくなった折、旧日本陸軍は本土決戦に備え、長野県の松代に巨大な地下壕を掘り、そこに政府機関や通信放送機関などの国家中枢機能を移転しようと計画していた。 これがいわゆる松代大本営である。

結局は終戦を迎え、その施設工事は75%程度で終了し、実際に使われることは無かったが、今も10キロにも及ぶ地下壕が残されているのだ。

工事は勤労奉仕隊や朝鮮人労務者を含む延べ人数61万600人というとんでもない規模で行われ、交代制で昼夜を問わず作業は続いたらしい。

そして掘削の手法はダイナマイトで岩石を吹き飛ばし、崩した石をトロッコで運ぶという過酷なものであった。

こうした過酷な作業なのでたくさんの犠牲者を出したと思われるが、詳しい報告は発表されていない。

地下壕内には、工事が困難を極めたことを示す掘削機のドリルが突き刺さったまま抜けなくなって残っている場所や、作業者が書いた名前やおそらく自分の故郷だと思われる地名などの文字が、日本語だけでなく韓国語でも書かれてあった。

彼らはどんな気持ちでそれらの文字を刻んだのだろうか、そして彼らは無事に故郷へと帰れたのであろうか。

戦争が終わり、ゆうに60年が過ぎた。 当時の時代を知る人はどんどんいなくなっていく。 戦争は歴史上の単なる “記号” となっていき、この地下壕のような戦争の爪あとは単なる “遺跡” となっていく。 ワタシは先の世代からこの戦争の事実を引き継ぎ、そしてそれを次世代に伝えていくことができるのだろうか。

地下壕の中に、千羽鶴が飾られていた。 ワタシは思わず手を合わせた。




【松代大本営跡 象山入口】
上信越自動車道 長野ICから約10分

【天皇御座所跡】
象山入口から車で約10分。細い道なので地元の方に聞いて行くべし。

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