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吉良上野介の首を洗った井戸

毎年、年の瀬の定番として演じられる忠臣蔵。  その敵役である吉良上野介の屋敷は現在の両国界隈にあり、その跡地は公園となって現在も残っている。
休日にはガイドブック片手にチラホラと観光客が訪ねる、プチ観光地になっている場所なのだが、 霊感の強い御仁によれば、このあたりは結構 “でる” らしい。
ま、たしかに 『忠臣』 とは銘打っているものの、集団で武装した殺し屋たちが夜中に屋敷を遅い、 寝ぼけ眼の家来達を惨殺し、 逃げ隠れていた主人の首を刎ね、その首を槍の先につけて東京を縦断して練り歩いたのだからなぁ。。。

吉良邸跡(本所松坂公園)

東京都墨田区両国3丁目13

上の囲みでも書いたが、忠臣蔵における赤穂浪士たちの討ち入りは、現代の感覚でいえば “狂信者グループによる大量殺人” と報道されてもおかしくないだろう。

もともと吉良上野介はお勤めの最中に浅野内匠頭に切りつけられた被害者である。  加害者の浅野内匠頭に刑罰がくだされ、吉良上野介が無罪になったのはしごく当たり前のできごとだ。

  その裁きを不服におもい吉良上野介を殺害した47人の赤穂浪士たちの方こそ、普通に考えれば理不尽極まりな い。

もしワタシが大石内蔵助の上司だったら 「まあ、落ち着いてよく考えろ。」 と諭すところだろう。

彼らの行動がなぜ “仇討ち” として後世に残されたかについては諸説があるのでここでは省くが、夜中に 突然 現れた武装集団に殺された吉良上野介や家臣たちの恨みツラミが本当に成仏されたのか、そこんところが地元民 としては心配なのだ。

両国界隈で気持ちよく呑んでいて、鼻歌まじりにこの辺りを歩いていると、 ふと、吉良上野介の怨念が今も漂ってのではないかと、変なことを考えてしまうことがある。  考えないようにしようとしても、こういうのは一度考えてしまうともうだめで、吉良の血みどろの生首が頭から離れられない。

さらにこの近辺はいわゆる 『本所七不思議』 の “片葉の葦” や “置いてけ堀” の舞台にも近いなぁとか余計なことまで考えてしまい、酔いなんか冷めてしまったなんてことがよくあるのだ。 ワタシは怖がり のくせにこういうことが大好きなんで始末におえない。

この写真は、赤穂浪士によって打ち落とされた吉良上野介の首を洗ったと言われる井戸だ。 まだこんなのが残 っているのだから、東京という場所は本当に面白い、いや、恐ろしい恐ろしい。



忠臣蔵にまつわる場所

【吉良邸跡】 切り落とされた吉良上野介の首を洗った井戸が残るほか、いくつかの資料も展示されている。

【回向院】 討ち入りの後、 赤穂浪士たちはここで落ち合うことになっていたが、寺院に入れてもらえなかった。

【一ノ橋】 討ち入りの後、両国橋を 渡り市中に入る赤穂浪士たちを描いた絵画も残っているが、
実際は隅田川の東側を川に沿って南下したら しい。

【万年橋】


【乳熊屋跡】 討ち入りを成し遂げた赤穂浪士たちに甘 酒粥を振舞った乳熊屋跡。
今も乳熊という名前の企業のビルが残る。

【永代橋】 討ち入り後、赤穂浪士たちは永代橋を 超えて市中に入った。


【浅野家 江戸上屋敷跡】 いわゆる鉄砲洲のお屋敷。 討ち入りが成就したことを報告に立ち寄った。

【汐留橋跡】 


【金杉橋】 


【泉岳寺】 討ち入り後、赤穂浪士たちは泉岳寺にある 浅野内匠頭の墓に吉良上野介の首を供えた。

より大きな地図で 吉良邸から泉岳寺までを歩く を表示