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毘沙門天の使いに退治された大狸の穴

大狸や大蛇が人を襲うとか、大狸が毘沙門天の使者に退治されたとか、そういう荒唐無稽な伝説にも、歴史的・文化的背景が反映されているかもしれない。

ものの本によれば、狸や毘沙門天は金属信仰と関係があるらしいし、 川の氾濫と鐘とは陰陽五行説と関係があるらしい。

学説的に正しいかどうかは別として、たまにはそんなことをジックリと考えてみるもの楽しいものだ。  

多聞寺 狸穴

東京都 墨田区 墨田5丁目31−13

隅田川と荒川にはさまれた鐘ケ淵(※1)に建つ、隅田川七福神のひとつ、毘沙門天を祀る多聞寺(たもんじ)がある。

ここはは別名「狸寺」と呼ばれており、その理由が面白い。

天正年間、本尊が不動明王から毘沙門天に変わり(※2)、 名前も大鏡山明王院隅田寺から多聞寺となったころの話しだ。

参拝者の便をはかろうと、 近辺の雑木林の伐採や整地が行われたため 以前からその地に住んでいた雌雄の大狸は住みかを失くしてしまった。

そこで雌雄の大狸はその腹いせに(※3) 大入道に化けて大地を震わせたり 土砂を降らせたりしたらしい。

ところがある日、毘沙門天(※4)の使者である善尼子天道(ぜんにしてんどう)が現れ、大入道を退治したのだという。

次の日、寺の庭で雌雄の大狸の死骸を発見し、大入道騒ぎが古くから住んでいた彼らであったことを知った住職は、憐れに思って塚をつくりその死骸を埋葬した。

それが写真の右端に映っている「狸塚」で、 その中央が狸が住んでいたと言われている狸穴だ。



◆上の文章の注釈◆

※1 鐘ヶ淵

鐘ヶ淵の名前の由来はこのあたりに大きな鐘が沈んでいるという言い伝えからきている。  諸説あるが、次の話しが一番面白そうだ。

夕顔観音は千葉常胤(つねたね)の息女、夕顔姫の菩提を弔うために建立した寺なのだが 、天分21年(1552年)に千葉一族が北条氏の軍門に下った際に、 北条氏は戦利品として夕顔観音(瑞応寺)の鐘を持ち去ろうと鐘を船につみ隅田川を下ろうとした。

すると突然、鐘が少女がむせび泣くような音で鳴り始め、川は荒れ凄まじい風雨となり、ついには鐘は船ごと沈んでしまったのだという。

この伝説に興味をもった徳川吉宗がこの鐘を引き上げようとして、江戸中の娘の髪の毛 を集めてつくった毛綱を川底の鐘につなぎ引き上げたのだが、鐘が川面に現れたとたん毛綱が切れてしまったのだとか。 吉宗という方とは気が合いそうな気がするなぁ。

この鐘は明治時代までは、天気の良い水が澄んだ日には川底に見ることができたらしい! いまでも川底には鐘が沈んでいるのだろうか?

※2 本尊が不動明王から毘沙門天に変わり

もともとこの寺には不動明王が祀られていたが、 第41代住職、鑁海和尚(ばんかい)の夢枕に不動明王が立ち、 空海との約束でこの地にやってきたが約束の期間が過ぎたので西国に行きのんびり過ごすとのこと、 交代に明日やってくるものがあること、などを伝えたという。 目が覚めた時には不動明王像の姿はなかった。

そこへ、空海の作である毘沙門天像を持った老人が訪ねてきた。 実はその老人の夢枕に毘沙門天が現れ、空海との約束があるので東方に連れて行け、とのお告げがあったのだとのこと。

それ以来、その毘沙門天像は多聞寺に祀られるようになったのだとか。 天正年間(1573−92年)の頃の話である。

※3 雌雄の大狸はその腹いせに

寺の近くにあった大きな池の大蛇も、住処を追われた腹いせに毒息を吐き出して参拝者を襲ったという。  毘沙門天は水神に頼み、大蛇を大人しくさせたとのこと。 この話しも下に書いたように、 川の氾濫を鎮めための信仰と関連がありそうだ。

※4 毘沙門天

狸と毘沙門天とが関係する言い伝えは結構多いらしい。  諸説はあるが、ワタシのお薦めする説は以下のようなものだ。

毘沙門天は軍神だが戦いの象徴である剣=鉄を操る神でもあるらしく、 鉱山の発見や発掘に関わる神だとか。また狸に関しては、その皮を鉄を精錬する際のフイゴに使われたとかで、鉱山が多かった佐渡島では狸や狢の養殖が盛んだったとか。

文福茶釜などはまさに狸と鉄とが結びついた話だし、鍛冶屋が鉄を叩いて精錬する音を「狸ばやし」として捉えられた話もあるようだ。

そうすると、狸も毘沙門天も同じ鉄器に関連する信仰対象ということになり、 毘沙門天が狸を退治するというのは、 それまでの日本古来の鉄器信仰が、仏教伝来によって、 仏教的な鉄器信仰に置き換えられた歴史を象徴していると言えるかもしれない。

ま、ワタシの持論なんで正しいかどうか保障はできないが。



◆川の氾濫と鎮めた鐘について◆

鐘ヶ淵の言い伝えのように、 川底に沈む鐘の話というのは結構いろいろなところに残っているらしい。 これは鐘をつかって川の氾濫を鎮めたという信仰があったからではないのかと思う。  上で書いた夕顔寺の鐘の話も「鐘が川を氾濫させた」とも捉えることができるが、 「氾濫していた川に鐘が沈むと、川が静かになった」とも捉えられるのではないか。

中国の陰陽五行説によれば、金と水は「相生」、 つまり金の強弱がそのまま水の強弱にもなるという関係である。

この考えを進めて、当時、氾濫を繰り返していた隅田川(大川)を鎮めるために 鐘を沈めたという言い伝えが生まれたのだと考えると面白い。  つまり 「金を沈めて水を鎮める」 ということだ。

殺された狸は、結局、土に埋められた。 これも、金属に関連する狸を埋めて(沈めて)、 川の氾濫を沈めようとした、ということにつながりそうだ。 蛇は水の化身であるから、 上の大狸と大蛇の話しを、狸を土に埋めたら蛇が大人しくなった、と捉えることもできる。

当時、現在の足立区近辺は大川の氾濫が頻繁にあった場所だ。  それゆえ川を鎮めるために、金属に関係のある「狸」や「毘沙門天」を この地で祀っていたのだとワタシは思うのだがいかがだろう。




アクセス

多聞寺
東武伊勢崎線 鐘ヶ淵駅から徒歩10分。 多聞寺の駐車場への道のりは複雑です。注意されたし。


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