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洞窟/隧道/穴/窪み 探検

真言宗の修行場所 瑜伽洞

洞窟に入るときの嬉しくなる気分は不惑を過ぎて益々大きくなってきた。  その洞窟が迷路になっているとさらに嬉しいし、偶然、異次元とつながっている穴に迷い込んでしまいそうな感じの洞窟だとなお嬉しい。

さらに、歴史的事件とその洞窟とが幻想的に交わっていたりすると、たまらなく嬉しくなってしまうのだ。 ここ田谷の洞窟もそんな洞窟の一つだった。

田谷山定泉寺

神奈川県 横浜市 栄区 田谷町1501

田谷の洞窟は正式名称を田谷山瑜伽洞といい、瑜伽とは「ユガ」と読んで、 サンスクリット語で瞑想をともなう一種の修行法をさし、どうやらヨガと同義らしい。

瑜伽洞は鎌倉時代から真言密教の修行場とされていて、 もともとの洞窟(古墳時代の横穴式住居や横穴墓という説もある)を 修行僧がノミを使って掘り進んで作ったと言われている。

たしかに、なんとなく掘りやすそうな壁面(砂岩っぽい)なのだが、 全長1キロ以上のこの洞窟の長さを考えると、修行僧の苦行が目に浮かぶ。

田谷の洞窟は真言宗大覚寺派田谷山定泉寺境内にあるが、こ の定泉寺は木魚を叩いて厄払いをしたり、 鉛筆を預けて受験合格祈願をしたりすることで有名だ。

ワタシも21回叩くとご利益があるといわれる木魚叩きをやってみがが、こういう単調なリズムは 確かに人の心を落ち着かせ、神妙な気持ちにさせてくれる。

さて、肝心の洞窟だが、入り口で400円の入窟料を払いロウソクをもらっていざ中に入る。  中は迷路のように複数の窟が絡み合っているが、足元に電球が設置されていて進路も明記されているので、うっかり未知の穴に迷い込む心配はない。

しかし逆に偶然迷い込んだ窟のなかで、太古の秘宝を発見する、という機会もなさそうだ。

こうした洞窟に無くてはならないのが、それにまつわる伝説である。 洞窟の価値はそれで決まるといっても良い。 そしてこの田谷の洞窟にも面白い伝説があるのだ、“朝比奈三郎 抜け穴伝説”だ。

朝比奈三郎は、鎌倉時代の1213年5月、鎌倉幕府の有力御家人 和田義盛が横山党と結んで、 執権北条義時を打倒するために起こしたクーデター=和田合戦で大活躍した和田軍の猛将だ。  父はクーデターの首謀者である和田義盛、母はあの美貌の女傑 巴御前だというので、なんとも良い血筋を引いている。

血筋通り、その猛将ぶりも規格外だったようで、六浦と鎌倉とを結ぶ峠道(朝比奈切り通し)をたった一夜で切り開いたという話や、彼が弓の的にしようと山から土を運んでいたときにこぼれた土が七つの山になったという、ダイダラボッチ的な話(宮城県大和町の伝説)、さらには死んだ後、閻魔大王をねじ伏せて極楽に行ったという狂言までもが作られている。 こう並べるとどこまでホントかまったく解らないが。。。

そんな朝比奈三郎は和田合戦の際に消息を絶ったことになっているが、 実はこの田谷の洞窟に逃げ込み、洞窟内の穴から落ち延びたという伝説が残る。

その穴こそ、洞窟の入り口を真っ直ぐ行ったところにある右へ曲がる道を更に奥まで行った少し広くなった場所に設置してある厄払大使の後ろ上部に開いている穴らしいのだが、とても山を作ってしまうような大男がくぐれるようなサイズではない。 しかし実際かなり奥深そうで、どこに続いているのか実に興味が沸くところだ。

残念なことにこの抜け穴は立ち入り禁止となっていた。 もし中を探れば、ここを抜けた朝比奈三郎の伝説がもっと広げることができそうなのだが。 テレビの特番などで、最先端マシンを使ってこの抜け穴の奥を調査してくれないだろうか。




アクセス

【田谷山定泉寺 田谷山瑜伽洞】
JR大船駅観音側よりバス(戸塚バスセンター行)洞窟前下車


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