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■またしても美少女のお話♪■

前回書いた
“三宝寺池に自ら入水して純潔を守った照姫様”に引き続き、
またしても大昔の東京の地に咲いた美少女のお話です。
いやー、歴史の中に咲く美少女ってフレーズ、すごく良いですねぇ。
しかも今回は室町時代の初頭、京の都から選りすぐられた美少女のお話です。

新田義興(にったよしおき)とは、足利家と覇権を争った新田義貞の次男で、
かなりツワモノな武将だったようですが、
義貞が敗れ、足利尊氏が室町幕府を開くと、今の東京地方にまで退くことを余儀なくされてしまい
ました。

しかし「いやいや、まだまだ」と、あきらめることなく、
虎視眈々と尊氏討伐の機会を狙っていたという、そんな時代のお話です。




■新田義興暗殺の陰謀に利用された美少女■

で、そんな時代、新田義興を暗殺しようと、尊氏の腹心の畠山道誓という男が送ったのが、
元新田軍に属していた竹沢右京亮(たけざわうきょうのすけ)という男だったのです。

竹沢は(こんな書き方をするとなんか高校時代の同級生のようですが、、)
畠山に恨みを持っている風を装って

ねぇ、新田の若大将、あたしゃホントは畠山なんて大嫌いだったんですぜ、 いや、ホントですってばぁ。

とか言って義興に近づいてきたってわけですよ。

はじめは胡散臭がっていた義興も、竹沢が義興の“お土産”として連れてきた、
京都から選りすぐりの美少女(!)少将局(しょうじょうのつぼね)をエラク気に入ってしまって、

ま、わかったよ、お前の話を信じてやるやるよん♪

ってな感じで、ワナとも知らず竹沢を自分の配下にしてしまったらしいんですねぇ。

なんつったって、少将局は京の都の選りすぐりの美少女ですからねぇ、
義興も“オトコ”だったってわけですなぁ。しかし、少将はまだ15〜6の年端もいかない小娘ですからねぇ、
おい、いいのか? まずいんじゃないの? え、どうなんだい? 義興サン。

■いつしか2人の間には・・・。■

少将には義興の動静や隠れ家を探ったりするような役目があったらしいのですが、
やはりそこは15〜6の小娘ですから、むふふふふ。
褥を共にしていれば、いつしか情が移るもの、むふふふふ。

あ、もう私、義興様無しでは生きていけないぃぃぃ。

って感じで、むふふふふ。 ま、そういうわけで、なるべくして、そのようになったってわけざんすねぇ。

ぬっはー、うらやましいねぇ、義興サン!

■義興暗殺作戦を義興にリークした少将局■

ま、そんな、むふふふふな関係が義興と少将の間に芽生えたとは
ツユ知らずの竹沢右京亮は、義興をお月見の宴に誘い、そこで待ち伏せさせた腹心に
義興暗殺を命じていたのですが、それに気がついた少将は義興に文を書き、夢見が悪いから7日間は外出しないで、と義興が宴に出かけるのを止めたのでした。

こうして竹沢の計画は失敗したのですが、この失敗が少将の情報リークにあることを
知った竹沢サン、いやー、怒った怒った。

でめー、自分の立場をわきまえず、よくもオイラの謀をバラシてくれたなぁぁぁぁ。

ってな感じのすごい剣幕で少将を呼び出すと、
なんとなんと問答無用で切り捨ててしまったのですよ!! 何も殺さなくたってねぇ、だって美少女なんだしさぁ、って感じですが、
当時の侍女の命って軽かったんでしょうかねぇ。でも、美少女ですよ、美少女、しかも京の都の選りすぐりモノ。いやー、惜しいよなぁ。

しかもムゴイことに、少将の亡骸は多摩川に放り込まれたとも、その場に置き去りにされたとも
言われているんですよ。ヒドイじゃありませんか、美少女なのにさー。



■少将を祀る女塚神社■
そんな少将局を祀るのが鎌田駅から徒歩10分ぐらいのところにある女塚神社(おなづかじんじゃ)にある女塚霊神です。皇太子殿下御成婚にまつわる碑も立っおり、恋愛関係の神社としては、
かなりの格式の高さを誇っているようですねぇ。でも、祠のような所に
“愛の神社”なる文字が書かれていて、ワタシは思わず赤面してしまいましたよぉ。中年おやじにはチトきついですよねぇ、“愛”って文字は。

で、この女塚神社、WEBサイトがあるのですが、そこに掲載されている
少将局のイラストがみょーーーに色っぽいんですよ、これがまた! さすが京都から選りすぐられた美少女って感じなんですが、
このイラストだと、愛に殉じた美少女というよりは“魔性のロリータ”って感じなんですけどねぇ。
ま、それはそれでいいか、美少女なんだし。

■最後まで勇ましかった義興の家来たちを祀る十寄神社。

少将局のおかげでお月見の宴を利用した暗殺からは逃れた義興はというと、
その後、またしても竹沢右京亮の策で江戸遠江守らにそそのかされ、
畠山を攻めることになったんですが、
船で多摩川を渡る際に、遠江守に内通していた船頭に、なんと船底に穴を開けられて
しまったのですよ!

船は沈みかけるは、多摩川の向こうには畠山軍が、こちら側には裏切った
江戸遠江守が、それぞれ弓矢で狙いを定めているはで、もう絶対絶命の大ピンチ! そんな中、義興の家来の中でも特に勇猛果敢な十人の家来たちが

こうなりゃ、最後は大暴れしてくれるわぁ!

てな感じで、鎧兜を脱ぎ去り刀をくわえて対岸まで泳ぎ渡り、もまるで鬼神の如く敵中に踊りこみ(しかもフンドシ一丁で)、バッタバッタと切りまくったわけです。

しかし多勢に無勢、しかもフンドシ一丁。最後は、もはやこれまで、とばかり、
十人の猛将たちは自害したということです。

この勇ましく誇り高い十人の猛将たちを祀った十寄神社(じっきじんじゃ)が、
武蔵新田駅(東急多摩川線)から徒歩15分ぐらいのところにあります。

社殿の裏にある大木はまるで十人の猛将たちが背中を合わせて敵と戦っているがごとく
株別れしており、力強い社殿とともに厳格な空気を醸し出していますねぇ、思わず背筋がシャキンとしちゃいましたから。

■雷神様になった新田義興を祀る新田神社には不思議がいっぱい!

一方、義興自身は沈み行く舟の上で、潔く自害したとのことなのですが、
いやー、悔しかったんでしょう。肉体は死んでも、その怨霊は雷神となって生きつづけた
とのことなのです。

特に裏切り者の遠江守に対する怨霊は物凄いものがあり、
義興を討ち、意気揚々と稲毛へ帰還する途中の遠江守の一群の前に、
角の生えた白栗毛馬に跨って現れ、雷鳴を轟かせながら遠江守を追い回したとの
伝説があります。

そして遠江守は雷神と化した義興が放った矢(雷か?)に射られ、
7日間、溺れ苦しむようにもがきぬいた末、息絶えたとのこと。

その後も義興の怨霊はおさまらず、鬼と化して畠山道誓の枕元に現れたり、
矢口の渡し近辺に夜な夜な光り物が出たりと、
そりゃあ、もう、大騒ぎです。
そして、そんな義興の怨霊を鎮めるために建てられたのが、
やはり武蔵新田駅近くにある新田神社なのです。

そんな経緯で建てられた神社ですから、境内には面白いものがいっぱいありますので、紹介しましょう。

その1:吼える狛犬

徳川家は新田家を祖とすることから、江戸時代にはこの新田神社は
たいへんな賑わいで、各大名や旗本たちは新田神社をよく祭礼した(祭礼させられた?)
そうなのですが、畠山一族が新田神社を祭礼すると必ず雨が降ったり、
新田神社の狛犬が吼えたり(!)したらしいのです。

現在、鳥居の脇にある狛犬はその当時のものではないんですが、
実は境内に当時の“吼える”狛犬がまだあるんですよ! 新田神社に行かれた方は是非探してみてください。

それはそうと、現在でも、畠山氏につながる
方が祭礼すると吼えたりするんでしょうかねぇ。

この狛犬については是非、今後も調査を続けていきたいと思います。

その2:迷い塚

また、新田神社の社殿の裏には直径10メートルほどの古墳があるんですが、
ここに新田義興が葬られていると言われていて、この古墳の真ん中にある杉の木は
義興の鎧兜と義興が自害した船の木が変じたものだと言われているとか。

しかもこの古墳、一名を「迷い塚」とも言い、中に入ると出てこれなくなる
らしいのですよ。迷うほどの広い場所ではないのですが、
侮ってはなりませぬ。だって、異次元への入り口とか、どこでもドアとかあるかも
しれないじゃないですか?

今は柵が巡らされているので、中に入ることはできませんが、間違っても「そんな伝説、
ウソに決まってるじゃん」とか言って、柵を乗り越えたりしないように。街中にこんなミステリースポットがあるってことが重要なワケで、
そういう重要性を理解するという心のユトリが人生を素晴らしいものにするのですぞ。

その3:平賀源内が商売ネタにした竹やぶ

迷い塚の後ろの方にはちょっとした竹やぶが今でも残っているのですが、
この竹やぶ、決して神域を超えて成長しないのだそうです。

そんな言い伝えを利用して、
江戸時代の“Mr.ケサパサ”平賀源内センセイはこの竹で「矢守」をつくり、“厄除け・開運・邪気退散”の効果絶大として売りさばいたらしいのですよ!

いやー凄いお方ですねぇ、源内センセイって! ちなみにこのサイトで販売している“ケサパサべーごまセット”には
“縁起が良い”とのキャッチがついていますが、
そんなタイソウなものではありませんので、念のため。(ワタシは源内センセイみたく
大胆になれません)

その4:力石

境内奥に、180から240キロもある石がいくつか並べて置かれているのですが、
これは“力石(リキイシ)”と呼ばれていたもので、結構神社にはよく見かけることができます。

これは力比べを行うための石で、今で言えばウェートリフティングで使うバーベルだと思えばよいと思いますが、持ち上げやすいバーベルと違い、180キロ以上の石の塊を持ち上げる怪力には驚くばかりです。

立て札によると、
「現代とは違い、娯楽が少なかった時代には・・・大きな石を持ち上げて、その力を競い合い・・」と書かれてありました。

“娯楽が無かったから石を持ち上げていた”というのは、実にドカチン的で、素晴らしい話ではありませんか♪ すごいぞ、むかしのひと!

その5:樹齢700年、雷が落ちた御神木

700年前というのは鎌倉時代ですから、新田義興が活躍した時代よりずーっと前ということです。

これだけの御神木だからこそ、義興の怨霊を鎮めるに相応しいってことなのでしょうねぇ。

しかもこの御神木、雷に打たれた上の方が裂けているんですよ。義興の怒りの雷を受けて耐えた御神木というわけです。いやー、お見事!

■この辺りにはまだまだすごいモノがある■

その1:とろけ地蔵

武蔵新田駅近くには頓兵衛地蔵というお地蔵様があるらしいのですが、
頓兵衛とは義興の船に穴を開けた船頭の名前で、やはり義興の霊により祟り殺されてしまった
とのことで、これを気の毒に思った村人が造ったものらしいのです。

しかし義興の祟りのせいで、いくら造りなおしてもボロボロとくずれてしまうらしく、
一名を「とろけ地蔵」と呼ばれており、以前はイボを取りたい人、性病を治したい人が
よくお参りにきているのだそうです。

その2:そこなし田圃

頓兵衛地蔵の後ろにかって広がっていた水田地帯は、義興の祟りではまると出てこれない
「底なし田圃」と呼ばれていたらしいです。

もちろん今では田んぼはありませんが、こういうところはアスファルトの下で、
今も怨念が渦巻いているにきまっています。。。

その3:雷神に追われ遠江守が逃げ込んだ場所

雷神と化した義興は角の生えた白栗毛の馬に跨り、自分を騙した遠江守の前に現れ、彼を
追い掛け回しましたのですが、逃げまどう遠江守が逃げ込んだとされている
場所にはいくつかの説があるようですので、いくつかをご紹介しましょう。

延命寺(矢口にあります)だという説・・・

延命寺に逃げ込んだ遠江守を狙い、雷神と化した義興が雷を放ったため、
堂宇が焼失してしまったという伝説があり、その後は義興が乗っていた船(沈められた船)の板を床板にしたらしいのです。

光明寺(鵜の木にあります)だという説・・・

遠江守はここの観音堂に逃げ込んだという説もあり、
境内には彼を祭った荒塚(アラツカ)があります。

また、この観音堂に祀られていた十一面観音菩薩立像は義興の怨霊の落雷を治めるのに
効があったことから、雷留観音(らいどめかんのん)とも呼ばれています。

さらには、光明寺の境内にある一番高い木には切腹した義興の内臓が飛び散ったときに
付着したなんていうグロイ話もあったりしちゃいます。

密蔵院(田園調布にあります)だという説・・・

逃げ込んだ遠江守を狙った義興の雷が付近の建物を灰にしてしまったために、
その灰を集めて築いた灰塚があります。

また、ここの観音様も雷留観音と呼ばれています。

これらの場所は是非、ゴーストレーダーやバケタンを持って探検したいものですねぇ。



■雷神伝説には科学的な理由があるらしい。■
多摩川下流に属するこのあたりは気象学的に見て、非常に落雷の多い場所だそうで、
今でも、夏の季節には雷鳴がよく轟くそうです。そうした地理的条件が義興の雷神伝説を生んだとする考えもあるのでしょうが、
やはりワタシなんかは“義興の霊がこのあたりに落雷を呼ぶんだよ”と考えた方が
割りにアレだったりするわけです。



美少女さまの話で始まったのに、最後は雷神伝説となってしましましたが、
ワタシの中のオヤジ魂は美少女という言葉にとてもよく反応するその一方で、
ワタシの中のガキンチョ魂の方は
自然現象に根ざした魔神・魔獣伝説が大好きなのですよ。
特に超破壊的な武器を持つ魔神ってのは実にいいですねぇ。

ギリシャ神話では雷と言えば、全能神ゼウスの使う武器ということになっていますが、
妻であるヘラに頭が上がらなかったゼウスと、
選りすぐりの美少女に慕われた新田義興とじゃ、
ま、比較になりませんわなぁ、はっはっはっは。(と、妙な愛国心が出てきてしまった。)
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