この神社の名前につけられている「澤蔵司」とは、 かって 伝通院(傳通院:現在も澤蔵司稲荷の隣にあり、 当時のいわゆる全寮制の浄土宗の学校だった)で仏教を 学んだ秀才の青年僧の名前で、僅か三年で浄土宗義を極めたという とても優秀だった彼にちなんで(※1) 伝通院の隣に建てられたのが澤蔵司稲荷だというわけなのです。

これだけだと、単なる「日本の仏教の歴史 文京区編」になってしまい、 このサイトで紹介する必要はないんですが、 この澤蔵司さん、なんと「実は彼はキツネだった」という噂があるんですよ。

澤蔵司がキツネだとバレた経緯には諸説(※2)があるようですが、 実在だと言われている人がキツネだったという話が残っているってのは 実に楽しいじゃありませんか。(本人にとっては迷惑かなぁ)

また、この澤蔵司キツネさんはとっても蕎麦が大好きだったという逸話も残っています。 しかもなんと、この澤蔵司さんが頻繁に通ったっていう蕎麦屋が 今でも残っているんですよ!(※3) 澤蔵司さんがいた時代は1620年ごろですからねぇ、 そんな歴史を感じさせる蕎麦屋がまだ残っているなんて、東京も捨てたもんじゃないなぁ。


境内の右方に「おあな」があります。
これが澤蔵司キツネとどう関係あるのかは調査中ですが、 写真の鳥居の奥に、霊場にふさわしい独自の雰囲気を持ったホコラへと続く 石段があります。
善光寺坂通りの真ん中にそびえるムクの樹。
切ろうとした役人が亡くなるという事件が起きており、交通の邪魔になりながらも 現在も切られずに残っているとのことです。
また、一説にはこの樹には澤蔵司キツネの神霊がついているとも言われています。



※1 彼にちなんで

太田道灌が千代田城を築く際に地中から掘り出したと言われる十一面観音像を 手に入れた澤蔵司は、伝通院で僅か三年で浄土宗義を極めたと言われています。

そして、 元和六年(1620年)五月七日の夜、学寮長の極山和尚の夢元に立ち 「そもそも、余は千代田城の内の稲荷大明神である。かねて浄土宗の勉学をしたいと思っていた長年の希望ここに達した。今より元の神にかえるが、永く当山(伝通院)を守護して、恩に報いる」と告げて暁の雲にかくれたのだということです。 そこで伝通院の住職廓山上人は澤蔵司稲荷を境内に祀り、 慈眼院を別当寺として建てたのだという話が伝わっています。

本堂の北側奥に隣接する御神殿には十一面観音像(非公開)と澤蔵司尊像(4月9日の春季例大祭に年一回のご開帳)が安置されているそうです。

※2 澤蔵司がキツネだとバレた経緯には諸説

澤蔵司が熟睡しているときにキツネの尻尾が出ているのを見られてしまったという話や、 澤蔵司がよく通っていた蕎麦屋(※3)で、彼が店にくると、 お金の中に木の葉が混じっていたということから、怪しんだ店の主人が後をつけていったら、 澤蔵司が森の中に消えたということから、キツネだとバレたという話が伝えられています。

※3 澤蔵司さんが頻繁に通ったっていう蕎麦屋が 今でも残っているんですよ!

澤蔵司稲荷の前の坂を少し上ると伝通院がありますが、 伝通院の門前通りと春日通との交差点に、この澤蔵司が通った「稲荷蕎麦萬盛」が あります。およそ390年前から営業しているってのはとても凄いことですねぇ。

現在でも、澤蔵司さんにあやかろうと、 木の葉のお金で蕎麦を食べにくる なむしょりんさん達がいるんじゃないかって、ワタシは心配していたんですが、 お店の人に言わせると「そんな人はいない」そうです。安心しました。。




どことなく孤高の雰囲気を携える、親子(?)のキツネ。

伝通院には「指圧の心母心・おせば生命の泉湧く」でお馴染みの 浪越徳治郎さんが寄贈した「指塚」があります。

都営地下鉄 後楽園駅、春日駅から徒歩10分ぐらいです。

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