隅田川と荒川にはさまれた鐘ケ淵(※1)に建つ、隅田川七福神のひとつ、毘沙門天を祀る 多聞寺(たもんじ)は別名「狸寺」と呼ばれており、狸にまつわる言い伝えがあります。

天正年間、本尊が不動明王から毘沙門天に変わり(※2)、 名前も大鏡山明王院隅田寺から今の多聞寺となったころ、 参拝者の便をはかり、寺の近辺の雑木林の伐採や整地などが行われ始めると、 以前からその地に住んでいた雌雄の大狸は住みかを追い出されてしまいました。

雌雄の大狸はその腹いせに(※3) 大入道に化けて大地を震わせたり土砂を降らせたりするようになったのですが、 ある日、大入道が暴れていると、 毘沙門天(※4)の使いである善尼子天道(ぜんにしてんどう)が現れ、大入道をさんざん打ち据えたのです。 次の日の朝、寺の庭で雌雄の狸の死骸を発見し、 今までの大入道騒ぎが古くから住んでいた大狸達であったことを知った住職は 彼らを憐れに思い、塚をつくってその死骸を埋葬しました。それが 今も多聞寺に残る「狸塚」なのです。



「狸塚」の全景。
中央の穴が「狸穴(まみあな)」で、右端が「狸」の文字が刻まれた 狸塚。

「狸穴」の拡大図。

「狸塚」の向かって右には信楽焼きの狸の像がある。



※1 鐘ヶ淵
鐘ヶ淵の名前の由来は隅田川のこのあたりは 大きな鐘が沈んでいるという言い伝えからきています。
諸説がありますが、この沈んでいる鐘は足立区青木町の夕顔観音(瑞応寺)の 鐘だとか。
夕顔観音は千葉常胤(つねたね)の息女、夕顔姫の菩提を弔うために 建立したお寺ですが、天分21年(1552年)に千葉一族が北条氏の軍門に下った 際に、北条氏は戦利品として夕顔観音の鐘を持ち去ろうとしたのですが、 鐘を船につみ隅田川を下ろうとすると、突然、鐘が少女がむせび泣くような音で鳴り始め、 次第に川は荒れ凄まじい風雨となり、ついには鐘は船ごと沈んでしまったのたというのです。
この伝説に興味をもった徳川吉宗がこの鐘を引き上げようとしたことがありました。 江戸中の娘の髪の毛を集めてつくった 毛綱を川底の鐘につなぎ引き上げたのですが、鐘が川面に現れたとたん毛綱が 切れて失敗に終わってしまったそうです。吉宗さんという人も結構ケサパサ系だったのかもしれませんねぇ。
この鐘は明治時代ごろまでは、天気の良い川の水が澄んだ日には川底に見ることができたとのことです。 いまでも川底には鐘が沈んでいるのでしょうか?

※2 本尊が不動明王から毘沙門天に変わり
もともとこの寺には不動明王が祀られていたのですが、 第41代住職、鑁海和尚(ばんかい)の夢枕に不動明王が立ち、空海との約束でこの地にやって きたが約束の期間も過ぎたので晩年は西国でのんびり過ごすつもりであること、明日に自分と 交代でやってくるものがあることなどを伝えたのです。 目が覚めた住職は仏像を納めた厨子の中を調べましたが、 やはり不動明王像の姿はもう既にありませんでした。
そこへ、毘沙門天像を持った老人が訪ねてきたのです。よく話を聞いてみると、 その毘沙門天像は空海の作で、その老人の 夢枕に毘沙門天が現れ、空海との約束で東方に行かねばならぬので連れて行け、 とのお告げがあったのだとのこと。それ以来、その毘沙門天像は多聞寺に 祀られるようになりました。天正年間(1573−92年)の頃の話です。

※3 雌雄の大狸はその腹いせに
住処を追われ、腹いせに暴れだしたのは雌雄の大狸だけでなく、 寺の近くにあった大きな池の大蛇もそうでした。
大蛇に毒息を吐きかけられた参拝者は熱病にかかったり、髪や眉毛が抜け落ちたりと 大変な目にあわされていましたが、 毘沙門天は水神に頼み、大蛇を大人しくさせるよう説得させました。 結局、大蛇は大人しくなったという話ですが、その後、その大蛇がどうなったかはただいま調査中です。

※4 毘沙門天
ものの本によれば、狸と毘沙門天とが関係する言い伝えは結構多いらしいです。 諸説はありますが、ワタシがおすすめする理由として、以下のようなものがあります。
毘沙門天は軍神ですが、戦いの象徴である剣=鉄を操る神でもあるらしく、 鉱山の発見や発掘に関わる神だとか。また狸に関しては、 その皮を鉄を精錬する際のフイゴに使われたとかで、鉱山が多かった佐渡島では 狸や狢の養殖が盛んだったとか。文福茶釜などはまさに狸と鉄とが結びついた話ですし、 鍛冶屋が鉄を叩いて精錬する時の音を「狸ばやし」として捉えられたという話もあるそうです。
そうすると、狸も毘沙門天も同じ鉄器に関連する信仰対象ということになり、 狸を毘沙門天が退治するというのは、仏教伝来によってそれまでの日本古来の宗教における鉄器信仰の 存在が、仏教における鉄器信仰の存在に置き換えられた歴史を象徴していると言えるかもしれません。 ま、ワタシの持論なんで正しいかどうかはまったく保障できませんけどね。




鐘ヶ淵の言い伝えのような川底に沈む鐘の話というのは結構いろいろなところに残っているらしのです。 上の夕顔寺の鐘の話も「鐘が川を氾濫させた」とも捉えることができますが、 「氾濫していた川に鐘が沈むと、川が静かになった」とも捉えることはできないでしょうか?
中国の陰陽五行説によれば、金と水は「相生」、つまり金が栄えれば水も栄えると いう関係です。この考えを進めて、 当時、氾濫を繰り返していた隅田川(大川)を治めるために鐘を沈めたという言い伝えが 生まれたのだと考えると面白いと思います。
当時、現在の足立区近辺は大川の氾濫が頻繁にあって、まともに田畑とすることが できなかった場所だったということですので、そこに住む人たちにとって 治水はとても重大ごとだったでしょう。それゆえ川を沈めるための金属に関係のある「狸」や「毘沙門天」を この地で祀っていたのだとワタシは思うんですけどねぇ。
そのような金属信仰と上の※4で書いた仏教伝来とが合わさって、 「狸が毘沙門天に退治された」という言い伝えが生まれたのだと思うのですが、いかがでしょうか?



多聞寺には東京大空襲で溶けた浅草国際劇場の鉄骨も見ることができます。 また映画人の墓標 もあります。

区内最古の木造建築である茅ぶきの山門です。

東武伊勢崎線 鐘ヶ淵駅から徒歩10分。
車の場合、多聞寺にも若干の駐車スペースがありますが、そこへ行くまでの道のりがチト複雑ですので、 図中のジョリーパスタ駐車場から歩くのが一番てっとり早いかもしれません。

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