一人旅ネタ&散歩ネタを紹介|けさらんぱさらん|

●古代出雲歴史博物館に涙する


ライン

1.東京からの超長距離ドライブでようやくたどり着く

神話ファンには絶対聖地として名高い「出雲大社」。ボクもずいぶん前から気になってはいたのですが、実際に行くとなるとちょっと躊躇しちゃいますよね、なんと言っても東京から800キロ以上離れているわけですからねぇ。

しかしある日、突然「古代から呼ぶ声」が脳内に駆け巡り、その勢いで車を走らせ出雲大社へと出かけてしまったのです。悪戦苦闘のドライブの末、ようやくたどり着いたのが上の写真の「白い大鳥居」。ついにボクは「日本の古代史の中心部」へとたどり着いたのでした!

この辺りの海の青さは別格です!

ライン

2.まずは出雲大社に圧倒される

ついに出雲大社にたどり着きました!

神話では、オオクニヌシが「天孫神」に「国譲り」したときに「見返りに作らせた」と言うことになっています。しかしが歴史解釈的には「外部勢力が出雲を侵略するにあたり、オオクニヌシを神に祀り上げ出雲人を取り込むために作った」とも言われているようですねぇ。

二つ目の鳥居から一つ目の鳥居を眺めた風景です。このスケール感こそ出雲大社の魅力ですよね!

日本においては「征服民の文化を根絶やしにする」のではなく、「征服民の文化を上手に取り込んで、文化ごと支配する」という方法が良く採られますので、「オオクニヌシを倒し出雲を支配した卑弥呼勢力が、これほど大きな規模でオオクニヌシを祀った」ということは「それほど出雲におけるオオクニヌシの影響力が強かった」という表れなのでしょう。

出雲大社の「神紋」である「二重亀甲剣花菱」です。中央の丸は鏡を、四枚の花びらは勾玉を表し、四本の剣とともに(天皇家のシンボルである)「三種の神器」を表しているのだそうです。

しかし出雲大社は「国津神系」で、「天津神系」である「天皇家」とは関係がないはずなので、「オオクニヌシの紋」というよりは「天津神系の勢力が、 国津神系最大の王であったオオクニヌシの魂を、三種の神器の力で押さえ込むことを 目的に作られた紋」なのかも。どうでしょうか?

堤防を築き、港を作り、灌漑を行ったオオクニヌシ。出雲の神話には「神が陸地を引き寄せて国を大きくした」という話がありますが、これは「土木工事により領地を増やした」ことを物語っているのでしょうかねぇ。

ライン

3.そこには「ナムジ」と「神武」の世界があった

ボクにとっては、安彦良和先生の「ナムジ」と「神武」が「日本古代史」のほぼ全ての知識の源なのですが、もう少し知識の幅を広げようと、出雲大社の近くにあった「古代出雲歴史博物館」に入ってみました。いやー、ここがとても凄いんですよ!

かつては出雲大社へはこのように48メートルも高い場所に作られていたらしいです。これ、全て木造ですからねぇ! ものすごいスケールの建築物だったわけですよ。

出雲から発掘された刀。この半端無い数が、いかに出雲が「鉄の国」だったかが判ります。

「ナムジ」では、「スサノオ」がこの地を納める前には、後に「ヤマタノオロチ」という化物として歴史に残されることになった豪族が、山肌を水の力によって削る手法で鉄鉱石を採掘していたという説明がありました。

山頂にためた水を一気に放出すると、まるで「頭がたくさんある蛇が山肌をのた打ち回っている」ように見えたので、「頭が八つある蛇の伝説」が生まれたのではないかということでした。

その「ヤマタノオロチ」を退けこの地を支配したのが「スサノオ」で、彼を継いだのが「オオクニヌシ」だったのでしょうか?

「鉄の時代」の前の「青銅の時代」から既に出雲には大きな文化があったようです。古代日本の中心はおそらくこの辺りだったのでしょう。

そして出雲は「馬の国」でもあったのです。鉄と馬こそ文明国家の礎なのでしょう。

こんなジオラマも展示されていました。まさに「ナムジ」や「神武」の世界観です♪

こんな感じで、勢いに任せて出かけた出雲大社でしたが、当然、一回行ったぐらいではその凄さは体験しきれません。もっといろいろ勉強してからまたこの地を訪れたいですねぇ。これも引退後の楽しみのひとつです♪