一人旅ネタ&散歩ネタを紹介|けさらんぱさらん|

●新潟にガンダーラ達がいた!/新潟県・柏崎市


ライン

1.運命的な出会いに思わずスキップする

暇つぶしに新潟方面を気ままにドライブしていると、新潟らしい「水田を思わせるような」広大な芝生が目に入ったのです。なにげなく車を止めてその施設の中に入ってみると、なんと躍動感溢れる姿の「三蔵法師とその仲間たち」が、ボクを出迎えてるではありませんか!

感動のあまり、彼らの回りをスキップしたり、彼らの写真を取り捲ったりと、それはもう大騒ぎしちゃいましたねぇ。だって、彼らは幼少の頃のボクのヒーローたちなのですから。こんな場所で彼らに出会えるなんて!

この施設は「西山ふるさと公苑」というのですが、最初、「新潟になぜ彼らがいるんだ?」と理解できなかたったんですよ。だけど、高度成長時代に少年時代を過ごしたボクの脳裏には、すぐに「新潟とガンダーラーズとを結ぶキーワード」が浮かんできたのです!

ライン

2.新潟と西遊記をつなぐ田中角栄

ボクが小学生時代に「小学校しか卒業していない」というキャッチコピーと伴に田中角栄氏が総理大臣になりました。そして「よっしゃ、よっしゃ」の口癖とともに「日本列島改造論」という、実にスケールのでかい改革を遂行していったのです。

晩年には悪名高き「ロッキード事件」の重要人物として、ヒール化していく田中角栄氏ですが、総理就任直後の支持率は、自民党支持ではない国民の間でも結構高く、ボクら当時の小学生の間でも「現代の豊臣秀吉」てきな扱いを受けていましたっけ。

そんな田中角栄の偉業のひとつに上の写真の「日中国交正常化」がありました。 戦後、国交を断っていた中国との国交を回復したのです。当時のボクが通っていた小学校では授業を中断して、周恩来主席と握手をした田中角栄氏のテレビ中継を見ていましたねぇ。

国交回復の記念に、上野動物園にパンダの「リンリン」と「カンカン」が送られ、空前のパンダブームが起きたのもこの時期です。

そして、この地、新潟こそ田中角栄の生誕の地。それゆえ新潟に西遊記のメンバーが勢ぞろいしていたというわけなのです。

施設内に「田中角栄記念館」もありました。

当時の田名角栄氏の人気はすさまじく、少年漫画誌で「田中角栄物語」という漫画が掲載されるほどでした。内容は、少年時代に周りから馬鹿にされていた「どもり」を克服するために、毎晩、雪が降る中、浪曲を練習したとか、貧しい生活の中でも勉強を続けたとか、そういう立身出世モノでしたねぇ。

期待に胸を最大限に膨らませて、上の田中角栄記念館にも入ったのですが、正直、あまり萌えるものは無かったですかねぇ。やはり田中角栄氏については「清濁併せ持つ怪物」として、もっともっと強烈なインパクトで表現して欲しかったです。 ま、公共の施設では無理かもしれませんが♪

その後、上の写真の「田中角栄が実家で食べた料理を出す店」に行き、角栄氏も大好きだったという郷土料理の「のっぺ汁」とカレーライスをオーダー。「のっぺ汁」とは「葛でとろみをつけた野菜の煮物」で、味付けはいたって普通の田舎料理でしたが、角さん気分で「よっしゃよっしゃ」と豪快に食べてきましたよ♪

ライン

3.やっぱ西遊館が一番面白かった!

田中角栄モノも良かったのですが、どうも無難に作り過ぎた感があり、これまでにもいくつかの「田中角栄関連の書籍や記事」を読んできたボクとしては、いまいち物足りなかったのですが、逆に「西遊記モノ」は、かなり楽しめましたよ!

西遊記なんて小学生低学年に読んだきりなので、今度ちゃんとしたものを読んでみようと思います。特に「沙悟浄」っていったい何者だったんだとか、急に気になってしょうがなくなりました♪

「西遊記 辞情 女児國」と題された立体屏風。これは凄かったなぁ!

チャイナガールたちにモテモテの三蔵法師。三蔵法師のイメージがちょっと変わったかも♪

日本では「河童てきな何か」とされる沙悟浄ですが、どうも河童っぽくないし、彼は何者なんだ?