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謎★伝説探査

新田神社の吼える狛犬

多摩川の下流域は気象学的に落雷の多い場所なのだこと。 それゆえ雷にちなむ伝説も数多く 、中でも有名なのが新田義興の雷神伝説であろう。

裏切りに合い無念の死を遂げた義興の亡霊は雷神となって敵陣営を焼き払ったり、裏切り者を呪い殺したりした。 さらに彼を祀った新田神社の狛犬にまで取り憑き、敵の末裔にまで吠え掛かったというのだ。

新田神社

東京都 大田区 矢口 1-21-23

新田義興(にったよしおき)は、 足利家と覇権を争った新田義貞の次男として猛勇を振るったが、 義貞が敗れ足利尊氏が室町幕府を開くと、余儀なく今の東京地方にまで退いていた。

しかし彼はまだ覇権を諦めたわけではなく尊氏討伐の機会を狙っており、そしてそれを恐れた 尊氏の腹心、畠山道誓はいくどとなく義興殺害を企てていた。 ※少将局のページを参照

結局、畠山道誓の策略で、元新田側の竹沢右京亮や江戸遠江守にそそのかされた義興は、尊氏討伐のために船で多摩川を渡ろうとするのだが、 船に穴が開けられ、さらには川の両岸から竹沢・江戸の伏兵により矢を射かけられたのだ。

義興は竹沢・江戸の裏切りを知り、無念とばかり自害をした。 そして、後世に十寄神社に祀られることになった勇猛果敢な10人の家来たちは、鎧を脱ぎ捨て対岸に渡り敵と戦い、 最後はやはり自らの刃で幕を引いた。

そんな死に方をしたのだから、義興の霊は当然タタリを引き起こす。 船に穴を開けた渡守は突然の嵐で川にのまれて水死、 江戸遠江守は、義興の亡霊に射ぬかれ落馬して大怪我をし、溺れているかのように七日間悶え続けて死んだという。

その後も義興の亡霊が雷神となって現れ、足利方が陣を引いた入間川近辺に雷を落とし焼け野原にするなど大暴れ。 矢口の渡し近辺にも夜な夜な光り物が出たらしい。  そんな義興の霊を慰めるために 建てたのが新田神社なのだ。

写真は新田神社に今も残る狛犬。 江戸時代になると、徳川家が新田家を祖とするため、各大名や旗本たちはこの神社によく祭礼したらしいのだが、 畠山一族が祭礼をすると、必ず雨が降り、この狛犬が吼えたのだとか。

はたして今でも畠山一族の末裔の方に吠え掛かったりするのだろうか。




【新田神社】 主な伝説として
1)畠山一族が新田神社を祭礼すると吼えるという伝説が残る狛犬
2)一度入ると迷って出れなくなる迷い塚
3)平賀源内が“魔除け・開運・邪気退散”の守矢を作った竹藪
4)落雷で上部が焼けた樹齢700年の御神木
などがあります。

【豊島家の墓がある道場寺】 


【女塚神社】 義興を内偵するために送り込まれたはずが義興との愛に殉じた少将局を祀る神社。

【頓兵衛地蔵(とろけ地蔵)】 頓兵衛とは義興の船に穴を開けた船頭の名前で、義興の霊により祟り殺されてしまったとのこと。
この地蔵は気の毒に思った村人が造ったものらしいが、義興の祟りのせいで、いくら造りなおしてもボロボロとくずれてしまい、一名を「とろけ地蔵」と呼ばれている。  以前はイボを取りたい人、性病を治したい人がよくお参りにきているのだそうだ。

【(この近辺一帯)そこなし田圃】 この辺の水田地帯は、義興の祟りではまると出てこれない「底なし田圃」と呼ばれていたとのこと。

【十寄神社】 義興と最後を共にした猛将たちを祀った神社。 新田神社に願い事をするときは、まずここで祈願するとよいらしい。

【妙蓮塚三体地蔵尊】 矢口渡で義興に殉じた13人の家臣のうち、土肥三郎左衛門、南瀬口六郎、市河五郎の三人は潜水して、対岸の
数百の敵中に斬りこみ、討ち死にした。この時、村老たちが集まって、この三人の遺体をこの地に葬り、霊を慰めた。 その後、妙蓮という尼僧がこの三勇士のために地蔵尊を建立したのだとか。


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