トップページこのページへのリンク・メディアでの取り扱いについて◆そもそもケサランパサランって何んだ?
謎★伝説探査

酒呑童子の首を刎ねた刀

日本三大悪妖怪(※1)としてその名を轟かす酒呑童子。この鬼のオヤブンの首を刎ねたとされる刀が国宝となって上野の国立博物館に展示されているということを聞いて早速見に行ってきた。

他の刀を圧倒するオーラを放つその姿はさすが国宝。 しかもこの刀、あやしげな伝説やその美しさだけでなく、実に話題の耐えない一振だったのだ。

酒呑童子斬り安綱

国宝:東京国立博物館 所蔵

平安時代のはじめ、大江山には、京の都に現れては高貴な姫君をさらい、側に仕えさせたり、その生肉を食べたりという悪行を繰り返していた酒呑童子という鬼が住んでいたという。

一説によれば、この酒呑童子はヤマタノオロチと人間の娘との間の子供という話しもあるらしく、そういう意味では由緒正しい(?)鬼と言えるだろう。(※2)

帝より討伐が命じられた源頼光は、酒呑童子に『神便鬼毒酒』(※3)という酒を飲ませ身体を動かなくさせ、首を切り落としたという伝説が残っている。

もちろんこれらは作り話なのだろうが、酒呑童子の首を刎ねた刀が実在しているから嬉しくなる。  それが写真の『酒呑童子斬り安綱』だ。

この刀は平安時代後期に作られたと思われ、源頼光の子孫である摂津家に伝わり、室町時代には足利将軍義輝に、その後、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと受け継がれる、まさに「王者の剣」であった。

当然いくつかの伝説が残っている。(※4)

『いわく』『出所』『美しさ』『切れ味』どれをとっても申し分なく、徳川八代将軍吉宗の時代には全国の優れた刀を選出した『名物帳』にも記載され、幕末には、鬼丸国綱(おにまるくにつな)、三日月宗近(みかづきむねちか)、大典太(おおてんた)、数珠丸(じゅずまる)とともに“天下五剣”として選ばれている。



※1:日本三大悪妖怪

他のニ妖怪は
◆玉藻前(たまものまえ)
白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)が化けた絶世の美女 。 藤原得子がモデルとされる
◆大天狗
流刑にされた崇徳天皇が変化した姿。

それぞれの詳細はまたの機会に。

※2:酒呑童子の出生

相当な美少年だったらしい。
西洋のサタンは地に落ちる前は光の天使だったように、真の悪というのは美と表裏一体をなす場合が多い。 酒呑童子ももともと絶世の美少年だったが、彼に惚れて恋煩いで死んでいった女性たちの怨念で(女性たちからもらった恋文を燃やしたらしい)鬼に変化したという。

それ以外にも母に捨てられた酒呑童子が各地を流浪するうちに鬼になったとか、比叡山にて修行中に禁じられている酒を呑んだため、鬼の面が顔から外れなくなったとか、いくつかの逸話が残っている。

※3:神便鬼毒酒

酒呑童子討伐に向う頼光一行の前に老人の姿で現れた 住吉・熊野・石清水の三社の神が、「星甲(ほしかぶと)」という兜と共に頼光に与えた酒。  鬼が飲めば、鬼の神通力が失われ、人が飲めば、力が満々とわいてくる。

京都の成相寺には神便鬼毒酒を振舞ったときに用いた酒徳利が残っているらしい。

※4:酒呑童子斬り安綱の伝説

◆ホントっぽいもの

徳川二代将軍秀忠は自分の娘・勝姫にこの刀を贈ったのだが、勝姫の息子である光長が 幼少の頃、夜鳴きがひどかったのだが、光長の枕元にこの刀を置いたら夜鳴きが治ったという、 ホンワカとした伝説。

また、この光長が所有していた時代、町田長太夫という剣の達人が、六人の死体を重ね、 この刀で両断し更に地面にまで食い込んだという試し切りの結果が残されている。(六つ胴裁断土壇払い)

◆アレっぽいもの

この刀はもともと坂上田村麻呂が伊勢神宮に奉納したもので、それを源頼光が夢のお告げにより貰い受けた。

南北朝の時代(鎌倉時代と室町時代の間)、新田義貞の所有の頃。 義貞が鎌倉攻めの際、稲村ケ崎が満ち潮のために渡れず、この刀を海に投じたところ引き潮になり、鎌倉に攻め入ることができた。

もともとこの刀は、これを造った安綱が竜宮に献上したもので、江豚(普通はカワイルカを指すようだが、ここではおそらくクジラのことでなないか)が飲み込んで百年以上経ってから腹から取り出したという伝説があるので、義貞の伝説はこの刀を元の竜宮に返したという意味だろう。

江戸時代、徳川光長所有の頃。
刀を研ぎなおすために、上野広小路の本阿弥家に預けていたとき火事に遭い、家の者が非難したときに本阿弥家の屋根の上に白い狐が現れ、まだこの刀が家の中に残っているのを教えた。それで歌人が火の粉をくぐり家に戻って無事、この刀を持ち出したという。